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うまくいく自信はありました。
でもそれは、100%根拠のない自信でした。

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酒場利吉の店主 前田です。

このページでは、僕がどうしてこのお店を開き、今に至るのか。

そんな「少し長めの自己紹介」を書かせてもらいます。

何となく始まった飲食との出会い

僕が飲食業に興味を持ったのは、正直なところ「何となく」でした。

高校時代、友達が「牛角(愛知川店)」でバイトをしていたのがきっかけで、僕もアルバイトを始めました。特別に夢があったわけでもなく、とりあえず働こうという気持ちでした。
 
ただ、当時はお金が必要だったという事情もあります。高校時代にバイク事故を起こしてしまい、親に立て替えてもらった医療費を返すために、働かざるを得なかったんです。

でも、働いていくうちに、飲食の現場に魅力を感じるようになっていきました。
 
特に、そこで出会った店長の存在が大きかったです。

仕事ができて、行動力があって、人望がある。僕にとっては「こんな大人になりたい」と思える人でした。その人の背中を追いかけるようにして、自然と飲食の世界に足を踏み入れていきました。

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牛角で学んだ「仕事の面白さ」

牛角愛知川店

高校を卒業してから、一度は工場に就職しましたが、すぐに退職し、高校時代にアルバイトをしていた牛角で社員として働き始めました。

牛角での3年間は、僕の人生において大きな財産になっています。

当時の牛角はフランチャイズ展開の真っ只中で、とにかく勢いがありました。マニュアル、営業トーク、接客など、あらゆる業務がシステム化されており、学びの宝庫でした。

毎月の監査で点数評価があり、それに向けてアルバイトを巻き込みながら会議を開き、改善に取り組む。ポスティングもプライベートの時間に行ったり、顧客アンケートの結果をもとにチームでポイントを競い合う――そんな中で、「とにかくまずは試してみて、そこから改善していく」という店舗経営やビジネスにおいて必要不可欠な意識が自然と染み付いていきました。

中でも大きかったのは、憧れていた店長がマネージャーに昇進し、その成長を間近で見られたことです。僕も負けていられないと、ますます飲食業にのめり込んでいきました。

この頃から、「いつか自分の店を持ちたい」という思いが、心の奥底に芽生えていたのだと思います。

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京都での修行

もっと料理の腕を磨きたい。そんな思いから、僕は地元を離れ、京都に修行に出ました。

最初に入ったお店では、人間関係が合わず、2ヶ月で退職しました。牛角のような活気のある職場とはまるで違っていて、正直戸惑いもありました。

その後、「竹とり」(株式会社 弥栄)という地鶏専門店に入社しました。
 
ここでは、自分で鶏をさばき、調理まで手がけるという、まさに「料理人としての原点」に立ち返るような経験を積みました。店長も任せてもらえ、ここでの3年間は、技術的にも精神的にも大きく成長できた時間でした。

この店の社長は料理人ではありませんでしたが、研究熱心でアイデアも豊富な方でした。この方からも、また多くのことを学ばせてもらいました。

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トラック運転手と諦めきれなかった夢

ところが、実家の事情で京都を離れざるを得なくなります。

両親の離婚により、母と姉の住まいを確保しなければいけなくなったのです。僕が賃貸契約を引き受ける必要があり、一度地元に戻ることにしました。

当時は家計が苦しく、飲食業では生活が成り立たなかった為、やむを得ずトラック運転手へと転身しました。
 
それでも、どうしても料理の世界を諦めきれなかったんです。

そこで、トラックの仕事が休みとなる土曜日だけでも飲食に関わろうと決めました。野洲にあった「100%しんと」という居酒屋で、ホールスタッフとしてアルバイトを始めます。

100%しんとでの写真

 滋賀県野洲市「100%しんと」(閉店されました)

この生活を約1年ほど続けていたのですが、次第にホールだけでなく、料理(キッチン)にも関わりたいという気持ちが強くなっていきました。

というのも、偶然にも「100%しんと」のオーナーは、昔僕が憧れていた居酒屋で働いていた方だったんです。その方のもとで、刺激的な環境に身を置かせてもらったことで、再び料理への情熱が湧き上がってきたのでした。

土曜日の勤務は夕方からだったため、昼間は時間がありました。やる気に満ちていた僕は「どうせ暇をしているくらいなら」と思い、オーナーに「給料はいらないので、仕込みを手伝わせてください」と申し出ます。その結果、別店舗である「まえちゃん」という居酒屋で、仕込みから関わらせてもらえることになりました。​

まえちゃん店主と一本松店主との写真

滋賀県野洲市「まえちゃん」の店主と「100%しんと」の店主

こうして1年間、仕込みを手伝い続けた結果、その熱意が認められ、正社員として迎えていただきました。

 

その後、「100%しんと」の店長が独立する際、オープニングスタッフとして声をかけてもらい、「一本松」というお店で約2年間働くことになります。

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酒場利吉、開業。

「自分の店を持つ」

それは、ずっと心の奥に抱き続けてきた夢でした。妻にも「いつかは独立する」と話してはいたものの、どこか現実味のない目標でもありました。

そんなある日、妻の母方の親族に銀行の役員を務めている方がいて、資金面について相談に乗っていただける機会がありました。

その時、心が大きく動きました。

「今なら、もしかしたらいけるかもしれない」

不思議と迷いはありませんでした。

これまでの経験や、人とのつながりが背中を押してくれたのだと思います。20代の頃から言い続けてきた「自分の店を持つ」という言葉に、ようやく実を伴わせるときが来たのです。

うまくいく自信はありました。でもそれは、100%根拠のない自信でした。

練りに練った戦略があったわけでもなく、潤沢な資金があったわけでもありません。それでも、「自分ならきっとやれる」という強い気持ちが、僕自身を突き動かしました。

場所探しから始め、友人の紹介で今の物件と出会いました。なぜか直感的に「ここだ」と感じたことを今でも覚えています。

創業時
創業時
創業時

スケルトン状態の店舗を一から仕上げていく作業は、決して簡単ではありませんでした。けれど、図面と向き合いながら、自分の理想の空間を形にしていく時間は、ワクワクの連続でした。

たくさんの方の支えがあり、2018年9月3日、「酒場利吉」が誕生しました。

開店時

酒場利吉の「利吉」は、僕の曽祖父(ひいおじいちゃん)の名前です。

曽祖父は僕が生まれた年に亡くなったのですが、親族の話を聞いていると「利吉じいちゃん」はいつも尊敬されている人でした。

「人は二度死ぬ」という言葉があります。一度目は肉体的な死、二度目は記憶から忘れ去られたときに訪れる死を意味します。「利吉じいちゃん」の名前をいつまでも残したい。そんな思いで「利吉」という名前を店名に入れようと決めました。

そこに居酒屋を連想させる「酒場」をつけて「酒場利吉」になりました。

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開業当初の不安と奮闘の日々

オープン初日は、たくさんの友人や知人が駆けつけてくれ、にぎやかにスタートを切ることができました。

しかし、本当の試練はその翌日から始まりました。
 
あれほど賑わっていた店内が、まるで別の場所のように静まり返っていたのです。予約はなく、通りすがりのお客様もいない。さらに、オープンに向けてスタッフを多めに採用していたため、人件費も大きな負担になっていました。

「このままでは、店が潰れてしまうかもしれない」

オープンから2日目にして、そんな不安が頭をよぎっていました。そのような日々が、3週間ほど続いたと思います。
 
でも、ただ待っているだけでは何も変わらない。そう思い、行動を始めました。
駅前でのチラシ配りやポスティング、近隣企業への飛び込み営業、宴会予約のお願い…。
とにかく、自分の足で動き回り、お店の存在を知ってもらうことに力を注ぎました。
 
ちょうどその頃、地元の情報誌『konkiくらぶ』に広告を掲載したところ、それをきっかけに少しずつお客様の数が増え、満席になる日も増えていきました。
 
飲食店にとって、料理がおいしいことは当然の前提です。
しかし、それだけでは不十分であることも、身をもって学びました。どれだけ想いの詰まった料理でも、まずは「知ってもらう」ことが何よりも大切なのだと実感しました。

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コロナ禍との向き合い方

ようやく少しずつお店が軌道に乗り始めた矢先、今度は新型コロナウイルスの影響が押し寄せました。

営業停止、時短営業、来店ゼロの日々…。売上は激減し、大きな不安が広がりました。

けれど、不思議と心は冷静でした。というのも、開業当初の「誰も来なかった数週間」を乗り越えた経験が、僕の中で大きな支えとなっていたからです。

国の補助金や融資制度を活用しながら、なんとか経営を維持する中で取り組み始めたのが、Instagramでの情報発信でした。

酒場利吉の一品料理を、おうちでも楽しんでいただけるようにとレシピをアレンジして公開するスタイルで発信を続けました。

利吉レシピ

これが想像以上に反響を呼び、当初500人ほどだったフォロワーは、やがて2万人近くにまで増えました。

外食が制限されたコロナ禍でも、自宅で楽しい晩酌をしていただきたい───そんな想いから始めた発信でしたが、「Instagramを見て来ました」と言ってくださる方が県外からも訪れるようになり、結果としてお店の集客にも良い影響をもたらしました。

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「今、何ができるか」が状況を好転させる

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なんとかコロナ禍を耐え抜き、現在は売上も徐々にコロナ以前の水準に戻りつつあります。

とはいえ、物価や人件費の上昇により、以前と同じ感覚で営業することは難しくなってきています。それでも、今は落ち着いた気持ちでお店に向き合えています。
 
何度も苦しい状況を経験してきて、強く感じたのは、「今、何ができるか」に目を向けることの大切さです。未来への不安は、いつどんなときもつきまといます。不安になると、今の現状から目をそらしたくなります。
 
けれど、それが状況をさらに悪化させることもあります。
 
開業してすぐにお客様が来なかったときも、コロナ禍で売上が激減したときも、抜け出すきっかけとなったのは、「今できることは何か」を見つめ、それを行動に移すことでした。
 
今の僕は、未来への不安を感じることが以前よりずっと少なくなりました。少し余裕が生まれたことで、自分のペースで、誠実にお客様と向き合おうという気持ちが強くなりました。

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酒場利吉の根底にあるもの

「おいしかった」「また来たい」

そう言っていただけることが、今は何よりも嬉しいです。

以前は、正直なところ、売上が上がることにやりがいを感じていた部分もありました。けれど、今はお客様のその一言が、心からのエネルギーになっています。
 
もちろん、飲食はビジネスです。利益がなければ続けていくことはできません。
 
しかしその前に、「誰かと顔を合わせて食事をすること」や「ちょっとした会話が生まれること」、「ほっと一息つける場所があること」───そんな人と人とのあたたかな関係こそが、僕がこの店で一番大切にしていることです。

それが、酒場利吉の根底にある“居場所としての価値”だと僕は思っています。

誰にも指示されないからこそ、自分でモチベーションを保つことの難しさもあります。それでも、自分で選んだ場所で、自分の責任で料理をつくり、お客様を迎え、お店を守っていく。
 
そのこと自体が、何よりも充実した生き方なのかもしれません。

肩ひじ張らず、ゆったりとした時間を過ごしていただける場所として、「酒場利吉」はこれからもあり続けたいと思っています。
 
もしご縁がありましたら、ぜひ一度足をお運びください。
おいしい料理と、心温まるひとときをご用意して、お待ちしております。

酒場利吉 店主 前田章吾

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